常國寺について
真宗高田派 方廣山 常國寺のあらまし
当山は正式名を「真宗高田派 方廣山常國寺」と称し、江戸時代前期の寛文年間(1661~)―天和年間(1681)に開基玄誓上人によって創建され、文政年間の寺社書き上げ帖によれば、はじめは「貞教庵」と称されました。
開基玄誓上人寂滅(元禄十三年)後、三世玄説上人の代(宝永年間)に寺号を「常國寺」と改めました。
当初は、武蔵野国豊島郡江戸桜田村(現在の日比谷桜田門・祝田橋周辺)にありました。のちに、江戸城最後の大拡張工事のため、当寺江戸の行楽地のひとつであった、溜池を望む高台の景勝地(霊南坂)に移転しました。
その後、十世忍龍上人の代 大正十二年には関東大震災が起こり周辺からの火災により堂宇(本堂等)は灰燼に帰し、記録の多くも消失しました。
また第二次世界大戦中の混乱、金属回収令などによる消耗など寺社にとっても厳しい世相もありましたが、創建から三百五十有余年の法灯を護り十二世現住職に及んでいます。
現住職拝命間もない、平成二十年には本堂の耐震化工事が完了し、御参詣のみなさまにも安心してお参りいただけるようになりました。
当山のご本尊は、先の関東大震災で被災し傷みも激しくなったため、高田派本山「専修寺」のご本尊阿弥陀如来像を模して造立し 平成十一年盛大に入仏・開眼法会を厳修しました。
御開山聖人(親鸞聖人)木像は江戸時代の作とされています。
名称 | 真宗高田派 方廣山常國寺(しんしゅうたかだは ほうこうざんじょうこくじ) |
本尊 | 本尊阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう) |
宗派 | 真宗高田派(しんしゅうたかだは) |
創立年 | 延寳元年(1673年) |
宗祖 | 親鸞聖人(しんらんしょうにん) |
住職 | 第12世 浅尾 康行 |
住職紹介
常國寺 第12世 住職 浅尾康行です。
僧侶としての出発点は中学1年生の(昭和41年)時、得度してからです。
当時、常國寺のある赤坂一丁目は付近に住宅や商店、風呂屋などがあり静かな住宅地でした。その後、日本で最初の超高層ビル「霞が関ビル」をはじめ40階を超えるオフイスビルや、マンション、ホテルなどが建ち並び、日本の高度成長時代を素肌で感じ取ってまいりました。
住所も住居表示の変更で、霊南坂町(慶長年間、嶺南和尚の庵が由縁で霊南の名前が付いた)から港区赤坂となり、現在は坂の名に「霊南」を残すのみとなったことは、大変残念なことと思っています。
このような変革の中、前住職(第11世 浅尾康教)の後を引き継ぎ、平成19年に住職を拝命いたしました。
こじんまりとした寺ですが、檀家のみなさまだけではなく、ご縁のある方だれでも親しみやすいお寺にしてゆきたいと思います。
平成二十九年度の回忌表(2017年)
一周忌 | 平成二十八年(2016年) |
三回忌 | 平成二十七年(2015年) |
七回忌 | 平成二十三年(2011年) |
十三回忌 | 平成十七年(2005年) |
十七回忌 | 平成十三年(2001年) |
二十三回忌 | 平成七年(1995年) |
二十七回忌 | 平成三年(1991年) |
三十三回忌 | 昭和六十年(1985年) |
三十七回忌 | 昭和五十六年(1981年) |
五十回忌 | 昭和四十三年(1968年) |
(平成二十九年三月現在)
真宗高田派 方廣山 常國寺 次第相承
開 基 | 貞教院釋玄誓上人 | 延寳元年(1673・337年前) 当 常國寺の前身である貞教庵を武蔵國豊島郡江戸櫻田村の地に草創 元禄十三年(1700)一月二日 入寂 六十四歳 |
第二世 | 梅教院釋玄廓上人 | 寶永元年(1704) 九月二十日 入寂 (二日との記入もあり) |
第三世 | 教運院釋玄説上人 | 寺号を常國寺に改める 寶永五年(1708)一月十九日 入寂 |
第四世 | 浄覺院釋玄門上人 | 寶暦三年(1753)一月十五日 入寂 |
第五世 | 浄巖院釋探玄上人 | 安永五年(1776)五月二十八日 入寂 |
第六世 | 大雲院釋信天人龍上人 | 文化十三年閏(1816)八月二十九日 入寂 |
第七世 | 昇道院釋覺天真龍上人 | 天保二年(1831)四月十二日 入寂 |
第八世 | 大道院釋智光観龍法師 | 嘉永五年(1852)六月十八日 入寂 |
第九世 | 大光院釋得清淳龍法師 | 明治二十三年(1890)十一月二十四日 下野(栃木県)本寺専修寺において服務中 入寂 |
第十世 | 浄邦院釋即證忍龍上人 | 昭和十三年(1938)三月四日 入寂 |
第十一世 | 常法院釋功徳康教上人 | 平成十九年(2007年)一月十日 入寂 |
第十二世 | 浅尾 康行(あさお やすゆき) 常國寺 現住職 |
(平成二十九年三月現在)